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アショカツアーズ流インドの歩き方

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ルンビニ 降誕の地

2015年01月19日 09:59


お釈迦様は今からおよそ2,500年の昔、釈迦族の王子としてルンビニの地で降誕されました。ご誕生に際し、お釈迦様の母君マヤ夫人は天上界の満月から降下してきた6本の牙をもつ白象が、右脇腹から胎内に入る夢を見てご懐妊になられたと伝えられます。その後、マヤ夫人は当時のインドの習慣により、出産のため召使いたちと里帰りの途中、休憩のためルンビニに立ち寄ります。そして沐浴をされ、無憂樹に右手を触れられたとき、お釈迦様が誕生されました。(マヤ夫人は、お釈迦様の誕生1週間後にこの世を去られ、お釈迦様はマヤ夫人の妹であるマハプラジャーパティーにより養育されました。)


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お釈迦様生誕の地ルンビニは、1980年頃まで、訪れる人も少なく荒廃していましたが、その後遺跡公園として整備が行われ、1997年世界遺産に登録されました。


 


●お釈迦様誕生の地に建てられた マヤ堂


遺跡を覆う「マヤ堂」と呼ばれる建物は、時代と共に位置や形を変えてきましたが、ユネスコによる『ルンビニ中心部の遺構を覆うシェルター型の建造物を建築すべき』という進言によって、今日の姿となりました。


 


建物内部には、調査により検出された建造物の遺構がそのままの姿で残ります。古い時代の構造物の上に新しい時代のものが作られる過程が何度か繰りかえされたため、複数の時代の遺構が重なって残ります。



特に注目すべきは、1995年に検出され『お釈迦様がこの地で降誕された』ことを示すと言われるマーカーストーン(石碑)。堂のほぼ中心、紀元前3世紀(アショカ王の時代)と想定される地層で発掘されたことから、まさにここが「お釈迦様がお産まれになった地」であることを示す証拠とされています。



石碑の上には、4世紀グプタ王朝期に刻まれた石製のレリーフ「お釈迦様降誕像」が安置されています。イスラム教徒による破壊で表面の細かな彫刻表現は失われましたが、「マヤ夫人が無憂樹の枝に右手を触れた時に右脇腹より誕生されたお釈迦様を、梵天(ブラフマー神)が絹布を手にして抱き上げようとしている」場面です。



 


●マヤ堂の南にある池 「沐浴の池」


「マヤ夫人がお釈迦様を産む前に沐浴をされた」あるいは「お釈迦様が産湯に浸かった」といわれますが、実際には1933~39年に考古学的検証をともなわずに掘られたものです。かといって単なる創作というわけでもなく、この池に関する記述は様々な仏教文献に見られます。



5世紀この地を訪れた法顕は「佛国記」に『王妃が北方からお越しになり、水浴びをされ、身体を清められたのはここである』と残しており、三蔵は「大唐西域記」に『釈迦族の水浴び用桶である。その水は鏡のように光輝き、清らかである。水面は色とりどりの花で覆われている』と記しています。


 


●奉献ストゥーパー群


「ストゥーパー」とは、お釈迦様の舎利(遺骨)を納めるための施設で、(人の姿をした)仏像が考案される以前は“お釈迦様の象徴”として礼拝の対象とされました。



「奉献ストゥーパー」とは、在家の信者などが“仏教的徳を積む”ために建立したストゥーパーで、多くの仏教遺跡でみられます。


 


●アショカ王が仏教普及のため建立した アショカ王柱


お釈迦様の入滅からおよそ200年後の紀元前274年頃、マウリヤ王朝3代目アショカ王が即位しました。この時代、王朝はベンガル湾に面したカリンガー国を除いた北インド一帯を支配下に置いており、王はカリンガー国を征服するべく長期に渡る戦を行いました。ついには征服できましたが、双方に多くの死者・負傷者を出し、その悲惨な様子を見たアショカ王は、“武力による政治”から“仏教の理念に基づく法による政治”を目指すようになります。


そこで仏教の普及を図るため建立されたのが、「アショカ王柱」でした。継ぎ目のない1本の石柱で造られ、上部には獅子・牛・象など、仏教に関わりのある動物の彫刻が載せられました。下は、インドの国章にもなっている『獅子柱頭』で、サールナート考古学博物館に収蔵されています。(ルンビニにはありません) 



マウリヤ国領土に30本程建てられたと推定され、現在、断片のみのものを含めて15本が残ります。マヤ堂の西に残る石柱もその中の1つで、1893年に発見されました。




『神々に愛せられた温容ある王(アショカ王)は、即位20年後に、親しくこの地に巡幸参拝された。ここは仏陀釈迦牟尼の生誕地であるが故に、石で馬像を作り石柱を建立させた。神がここで誕生されたので、ルンビニ村は租税を免じ、生産物の八分の一のみ納めるものとされた』


石柱に残されたブラフミー語の碑文がこのように読解され、ルンビニが“お釈迦様の生誕の地”であることの裏付けとなりました。なお玄奘三蔵の大唐西域記に「柱頭部に馬の石像がある」と記録されていますが、現在は発見されていません。


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ルンビニでのご宿泊


●ルンビニ法華ホテル(1991年開業)


日本からの仏跡巡拝者が快適な旅行ができるよう、日本の「法華クラブ」により建てられ、現在は、他の仏教聖地(ブダガヤ・クシナガラ・ラジギール・サンカシャ)にもホテルを展開する「インパック社(インド)」が運営しています。



フレンドリーで気の利くスタッフたち。



中庭を中心に平屋建ての客室が並びます。



雄大な自然環境の中にあり、多くの野鳥を観察できます。餌付けしているクジャクが中庭にやってくることもあります。



全客室数27と、規模は小さいですが、和室(20部屋)には畳が敷かれ、お布団でお休みいただけます。



和食・ネパール料理・インド料理のレストラン。



僻地にもかかわらず日本米やお醤油などの材料調達をがんばっており、シェフの腕前もなかなかです。



日本からのお客様向けに、大浴場もあり、旅の疲れを癒してのんびり過ごせるホテルです。


 


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カピラヴァースト(カピラ城) 釈迦族の都跡

2015年01月18日 10:34


お釈迦様は「シッダルタ」と名づけられ、お城で何一つ不自由のない王子としての生活を送り、19歳の時には、スプラブッタの王女ヤショダラ姫と結婚します。しかし、お釈迦様は宮廷内での華美な生活に満足する事はなく、29歳の時愛馬カンタカにまたがり出家されました。


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近世以降の発掘調査により、多くの仏跡地の位置が確証されてきました。しかし、シャカ族の都跡「カピラヴァースト(カピラ城)」については、ネパール領“ティラウラコット”と、インド領“ピプラワ”の2つの説があり、確証に至っていません。これには、法顕「仏国記」(5C)の『ルンビニの西15Kmにカピラヴァーストあり』と、玄奘三蔵「大唐西域記」(7C)の『ルンビニからサラクーパを経て23Km』との、記述の相違が関係しています。


 


●カピラ城跡その1 ティラウラコット


ルンビニから西に約20㎞の町タウリハワーから、さらに北に約5キロ進むとティラウラコットの遺跡に到着します。(所要片道約1時間) 城跡の遺跡は南北500メートル・東西450メートルと広範囲に及び、ネパール政府考古局により、城の西門と東門等、一部の発掘調査が行われています。


西門


東門


仏教の説話に、“四門出遊(『カピラ城に暮らすシッダルタ王子は、東門から外に出て老人と、南門から外に出て病人と、西門から外に出て死人と、北門から外に出て修行僧と遭遇し、出家を決意された』) ”があり、また「大唐西域記」の記録に『カピラ城には高い城壁があり四方に4つの門があった』とあります。発掘された東門・西門は、これらの話に符合しており、実際に訪れると臨場感があります。


 


●カピラ城跡その2 ピプラワ



一方、ピプラワの遺跡は、ティラウラコットの南およそ20㎞のインド領に所在します。(ティラウラコットから向かう場合、ネパール・インド間の国境越えが必要) 


1897~1898年に第一次発掘調査が行われ、直径35mのストゥーパーから6つの「舎利(遺骨)容器」が発見されました。その1つには『これは釈迦族の仏・世尊の舎利容器である』とのブラフミー文字の刻銘があり、クシナガラで荼毘に付され、ドローナ仙の調停で8つに分けられた仏舎利の1つであることを示します。1971~1977年に行われた発掘調査では、31個の印章が発見され、その中からカピラ城に関する文字が認められました。城跡の遺構は検出されていませんが、これらの発見は、「ピプラワがカピラ城であった」という説をとなえる人達の大きな根拠となっています。


※パッケージツアーの基本プランにはカピラ城の見学は含みませんが、ルンビニを訪れるコースに追加で組み込むことも可能です。(延泊が必要な場合もあります。)


 


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前正覚山での6年に及ぶ苦行

2015年01月17日 10:08

悟りを得るために、シャカ族の王子の地位を捨て出家したシッダルタ王子(悟り前のお釈迦様)は、当時のバラモン教修行者と同様の厳しい修行を遂行しました。それは、樹下石上を住居とし、食物は施しによってのみ得、衣装は人々が捨てた布を縫いあわせた糞掃衣を纏うというものでした。さらには断食を行い、悟りを求める苦行は6年間続きました。


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●留影窟(りゅうえいくつ)



悟りを求めて修行を行ったのが、ブダガヤ郊外にある岩山の「前正覚山」です。ふもとから坂道を20分程登った中腹に、お悟りの前のシッダルタ王子が断食を行った小さな洞窟があります。



現在はチベット仏教の寺院となっていますが、ガンダーラ芸術の最高傑作といわれる「苦行する釈迦像」のレプリカが置かれています。その姿は、全身に骨格と血管が浮きだし、目や腹部はすさまじくくぼみ、その苦行がいかに激しいものであったかを伝えています。


 


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やがては、シッダルタ王子は苦行のための苦行では、成道に到達できない事を悟ります。ついに苦行を捨て、スジャータのミルク粥の供養を受け、前正覚山の頂上に上がられました。その時大地が震動し、山神のお告げがありました。『この山は正覚成就の場所ではありません。もしここで成道のための瞑想に入られれば、大地は震動し山は傾くでしょう。』そこで、山の中腹で再び瞑想に入ろうとすると、大地が再び震動し、龍神のお告げがありました。『ここも正覚成就の場所ではありません。この地より遠くないところに、菩提樹が繁り、その下に金剛宝座があります。過去仏様は皆その座において成道を成就しました。願わくばそこにお出ましください。』かくして、お釈迦様は菩提樹の樹下、金剛宝座の席上で成道の境地へと達せられました。


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●前正覚山(ぜんしょうがくざん)



山の麓まではブダガヤから車で約1時間ですが、スジャータの村近くの尼蓮禅河に架かる橋から遠望できます。「フタコブラクダ」の背中のような形が特徴です。


 


※パッケージツアーの基本プランには前正覚山の見学は含みませんが、ブダガヤで延泊をされますと、訪問が可能です。


 


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スジャータの村での乳粥の供養 

2015年01月16日 10:45


バラモンの娘スジャータは、男子に恵まれるよう毎日ガジュマルの樹に願をかけていました。ある時、いつものように樹下に行ったところ1人の修行者が瞑想を行っていたので、スジャータは『この修行者は樹神の化身だ』と思い、ミルク粥の供養を行いました。この修行者こそお悟りの直前のお釈迦様でした。


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スジャータがいた村(セーナ村)は、大菩提寺の東約3㎞、尼蓮禅河の東岸に所在します。今なお当時を偲ばせる生活が営まれているような素朴な農村です。最近は、NGO団体による学校の寄贈等の活動が行われています。


 


●スジャータ・ストゥーパ(仏塔)



村の東の外れに大きなストゥーパーが残ります。2回に渡る発掘調査(1973~74年、2001~06年)が行われ、二重テラスの円形の建造物の全容と、『この地で、スジャータによるお釈迦様へのミルク粥供養が行われた』ことを記念して建立されたこと明らかになりました。時代は8~9世紀と比較的新しく、グプタ王朝期からパーラ王朝期への過渡期の建築様式を示しています。


 


●スジャータ・テンプル



ストゥーパーから、道幅が50センチあるかないかの畑のあぜ道を北へ、約20分進むと、小さな寺院があります。『ガジュマルの樹下で、お悟り前のシッダルタ王子にミルク粥を供養するスジャータの像』が奉られています。



辺りはとてものどかな農村風景で、“2500年前のお釈迦様の時代に舞い戻ったか”との錯覚に陥りそうです。


 


●お釈迦様が身を清めた 尼蓮禅河



スジャータ村と、悟りを開かれたブダガヤの間には、「お釈迦様が山を下りた後に沐浴を行い、身を清めた」といわれる尼蓮禅河があります。1997年に橋が架かってからからはバスや車で村を訪問できますが、ほんの20年前までは、乾季で水の涸れた河を徒歩で渡るか、農業用トラクターをチャーターするかしており、決して容易な旅ではありませんでした。



乾季にはほとんど水がありません。


 


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ブダガヤ(ブッダガヤの大菩提寺【世界遺産】) 成道の地

2015年01月15日 10:30


お釈迦様は前正覚山での5年に及ぶ苦行の末、古代インド宗教・バラモン教修行者達が行う、「“苦行のための苦行”は無意味だ」と悟ります。苦行を捨て、ついには山を降り、村でスジャータという娘から乳粥の供養を受けます。そして尼蓮禅河を渡り、菩提樹の木の下で覚りのための瞑想に入り、7日後成道の境地に達せられました。 35歳の時でした。


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2002年に世界遺産登録された、人類にとって記念すべき聖地“ブダガヤ”には高さ52メートルの大菩提寺が聳え、偉大な聖地である事を直感させます。寺院裏には、真の成道の座“金剛宝座”と菩提樹の大木が、寺院横には『悟りの境地を人々に伝え広げるか否かで迷われ、歩まれた足跡に蓮華の花が開いた』という説話を表現した、蓮華レリーフの19の経行石が残ります。


 


●古来より多くの人々が参拝した 大菩提寺(大塔)



紀元前3世紀のマウリヤ朝アショカ王も度々訪問し、その様子がサンチーの第1ストゥーパーの彫刻にも残されています。その彫刻に残る塔の形は、現在の姿↑とだいぶ異なり、むしろ「クシナガラの大涅槃寺」↓に近い形をしています。


<=クシナガラの涅槃堂


玄奘三蔵がAD635年に訪問した際の記録には、『正方形の基底の上にピラミッド型に聳え立つ建物あり、これはグプタ王朝1世サムドラ・グプタ(AD335~385)により建立された』とあり、この時の姿は今とほぼ同じであったと考えられます。



鳥居のような石製の門をくぐってお寺へ進みますが、寺院としては珍しく、階段を「下りて」参拝します。これには歴史的な理由があります。


仏教が衰退した13世紀、アフガニスタンのバクティヤール・ハルジーが率いるイスラム軍団が北インドに攻め入ります。イスラム教では偶像崇拝が禁じられ、偶像の存在自体が罪であると考えられたため、仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院・仏像・神像の破壊が行われました。そこでブダガヤに僅かに残った仏教徒は、大菩提寺を破壊から守るため、土で覆って小高い丘に偽装しました。


その後約600年間、埋もれたままとなります。そして19世紀、イギリス人考古学者カニンガムの調査により埋められていた寺院が発掘され、今日の姿を取り戻したのです。本堂が建っている地盤が周りの土地のよりも低くなっていることが、史実を如実に物語っています。


 



本堂内部には、金色に塗られたお釈迦様の「降魔成道像」が安置されています。『お釈迦様が悟りを得た時、悪魔が退散し、触地印を示したお釈迦様の悟りが本物であると、地神が証明した』という説話により、人差し指を下に向けた「触地印」を示しています。9世紀のパーラ王朝時代、仏像が黒い石に彫られていた時期の作品で、本来は黒色ですが、仏滅2500年の際にビルマ人により金箔が貼られ、今日の姿となりました。


 




寺院横には、『悟りの境地を人々に伝え広げるか否かで迷われ、歩まれた足跡に蓮華の花が開いた』という説話を表現した、蓮華レリーフの19の経行石が残ります。そして、寺院の壁にはお釈迦様の座像が彫刻されています。



 


●真の成道の座 金剛宝座と菩提樹の聖木



本堂裏側に、「まさにこの場所でお釈迦様が悟りを得た」事を示す金剛宝座と、菩提樹の聖木があります。金剛宝座は、紀元前3世紀のマウリヤ王朝期・アショカ王の時代の作品だとされ、135㎝×128㎝、厚さ15㎝の石盤の表面には幾何学模様が彫られています。現在は金剛宝座の周りには欄楯がめぐらされ、立ち入りができないうえ、幾重にも布がかけられているため、その姿を確認する事はできません。




この金剛宝座に覆いかぶさるように鎮座する菩提樹の大木は、お釈迦様の悟り時の菩提樹の「孫」にあたる、大変に仏縁の深い聖木です。説話によると、アショカ王の息子マヒンドラが、仏教布教のためスリランカに渡った際、妹のサンガ・ミッタがお釈迦様お悟りの菩提樹の枝を持って同行し、アヌダラプーラの地に植樹しました。これがしっかり根付き、今日まで枯れる事なく「スリマハ菩提樹」と呼ばれるスリランカの国の宝となっています。この「スリハマ菩提樹」の分け木が、このブダガヤの菩提樹の聖木です。


 


●アショカ王が仏教普及のため建立した「アショカ王柱」



マウリヤ国領土に30本程度が建立され、現在15本が現存する「アショカ王柱」の1つをブダガヤでも見ることができます。残念ながら柱頭部の彫刻は現時点では発見されていません。


 


●お釈迦様を暴風雨から守った ムチリンダ龍王の池



王柱が安置される場所の近くに、ムチリンダ龍王の像が奉られる池があります。


お釈迦様の成道後5週目に、ブダガヤを暴風雨が襲った際、ムチリンダ龍王はお釈迦様の体に7回巻きつき、7つの頭で天蓋をつくり、風雨と寒さから守りました。その後ムチリンダは人間になり、お釈迦様に帰依しました。


ムチリンダ龍王は日本ではあまり知られませんが、ガンダーラ(パキスタン)にも作品があり、アンコールワットやボロブドール等東南アジアの遺跡でも、多くの像が発見されています。


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ブダガヤでのご宿泊


●ロイヤルレジデンシーホテル





2002年開業、ブダガヤで最も設備が整ったホテルです。全客室数64部屋はブダガヤ最大規模で、館内には、エア・インディア航空やタイ航空の事務所、仏跡地地に5つホテルを運営するインパック社の事務所がテナントとして入ります。



レストランでは、中華・洋食・インド食のメニューが揃い、館内の無農薬・有機農園で栽培された、新鮮で安全な野菜が使われています。


 


●ホテル・スジャータ






大菩提寺の近く、日本寺のすぐ近くに位置する比較的設備の整うホテルです。ブダガヤでは老舗のホテルで団体旅行・個人旅行のお客様の対応にも慣れています。館内には日本式の大浴場があります。


 


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