霊鷲山 晩年止住説法された地

冬の期間、お釈迦様は霊鷲山に多く留まられ、法華経をはじめ大無量寿経、般若経など説かれました。仏典に『釈尊は常に霊鷲山にあり』などとよく表現されています。お釈迦様が自身の涅槃(死)を直感されたのは、涅槃の3ヶ月前、ラジギール滞在中でした。

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香堂から見える岩の形が1羽の鷲の姿に見えるといわれるのが、名前の由来です。霊鷲山は、ラジギール盆地を取り囲む、ウダヤギリ・ソーナギリ・ヴァイバーラギリ・ヴィプラギリ・ラトナギリの5山のうちの、ラトナギリの中腹にあります。(「ギリ」は「山」を意味します。)

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中国の『五台山』は、ラジギールの地形に似ていたため、文殊菩薩の霊場に定められました。これが鎌倉時代・室町時代に日本に伝わり、臨済宗を中心とした「五山の制」へと発展しました。
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19世紀、カニンガムなどのイギリス人学者によって、仏跡地の場所が考古学的に次々と証明される中、霊鷲山の場所は長らく謎のままでした。これを解明したのが、西本願寺第二十二世 大谷光瑞法主が率いる調査隊(大谷探検隊)です。ジャングルの中にテントを張り、「大唐西域記」に玄奘三蔵が残した“朝日と山との位置関係”の一致をみて、ついに1903年、霊鷲山の位置を確定しました。

お釈迦様は香堂に留まられ、法華経・大無量寿経・観無量寿経・般若経などを説かれました。

香堂の下には、アーナンダ等弟子達が瞑想・修行したであろう洞窟が残ります。

マガダ国の王ビンビサーラは、王舎城から霊鷲山に通じる山道を歩き、お釈迦様の説法を聞きに来ました。私たち巡拝者も歩むこの山道は、ビンビサーラ・ロードとも呼ばれます。

登山道はそれほど急ではありませんが、石段を1時間弱歩きます。駕篭(有料)もあります。

 

●日蓮宗のお寺 「日本山妙法寺」

ラトナギリの稜線を山頂の方に進むと、白い大きな仏塔があります。1969年に藤井日達上人により建立されたお寺です。

 

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