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アショカツアーズ流インドの歩き方

ラジギール(王舎城) 酔象調伏の地

2015年01月12日 10:00

ラジギールに、お釈迦様と敵対するディーバダッタという人物が居ました。彼は仏教教団からお釈迦様を引退させ、自らをその後継者にするよう強要したり、中道の考え方を否定し、出家者は極端に厳しい生活をするよう迫ったりしました。そしてある時、発情したアジャンタシャトル所有の象に酒をのませて暴れさせ、お釈迦様の殺害しようとしました。酔った象は街中で暴れ、多くの人達を傷つけましたが、お釈迦様の前まで来るとおとなしくなり、ついには礼拝をしました。



具体的な遺跡は残っていませんが、ガンダーラ彫刻などにこの場面を刻んだ作品が残ります。


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お釈迦様は、悟りをひらかれた35歳から涅槃に入られるまでの45年間、今日のビハール州とUP州にまたがる地域を、法を説いて遊行されました。


この地域一体は、ガンジス河によって形成された、ほとんど標高差のない地形(ヒンダスタン大平原)ですが、突如現れた5つの山に囲まれた盆地の中にあるラジギールは、国防上とても好都合でした。ここに首都を置き、当時としては先進的であった製鉄産業と豊かな農業生産により、繁栄を極めていたのが古代インド十六大国の1つ「マガダ国」でした。国王ビンビサーラ(BC542~491?)は、お釈迦様に深く帰依され、布教活動の保護をしたため、ラジギールには多くの仏教遺跡が残ります。


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●城壁



ラジギールからブダガヤに向かう途中、王舎城を取り囲み、山の稜線に沿い連なる城壁が見られます。平均5メートルの厚さの壁が、総延長41キロメートル、というスケールの大きさで、2500年前、現在のラジギールからは想像もつかないほどの大国があったことがうかがい知れます。


 


●戦車の轍(わだち)跡



マガダ国一帯からは、鉄鉱石が多く産出され、相当に高レベルの鉄器生産が行われ、繁栄の原動力となっていました。当時、鉄の車輪をもつ車が何度も往来したのでしょう、城壁の付近に「戦車の轍跡」の遺跡が残ります。岩盤の上に幅1メートル強の間隔で深さ30センチ前後の2条の溝が延々と刻まれ、軍事的に緊張をしていたことが想像されます。


 


ラジギールでのご宿泊


●法華ホテル


1984年、日本の「法華クラブ」とエア・インディア航空が、日本からの仏跡巡拝者のため共同出資し開業させました。




仏跡地の中では老舗のホテルの1つですが、現在はインパック社により運営され、手入れも比較的行き届きます。客室の一部は和室で、畳の上に日本式布団を敷いてご休憩いただけます。



2008年には新館が開業し、客室数は44部屋となりました。



日本人宿泊客の多い日には大浴場が営業し、お食事は、インドでも特に僻地のラジギールに居ることを忘れさせる、美味な日本食が提供されます。



数珠などのお土産物も豊富です。



日本からのお客様向けに大浴場もあります。



 


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