舎衛城(マヘト) コーサラ国の都

ジャイナ教を信仰していたコーサラ国のプラセナジト王は、祇園精舎にお釈迦様が訪れるようになると仏教を信仰し改宗しました。それ以降、ジャイナ教徒はお釈迦様への中傷を激化し、神通力を披露するよう迫りました。お釈迦様は舎衛城でこれに応え、一度に1,000の姿になったり(千仏化現)、足元から水・頭から炎を出したり(双神変)、マンゴの種を1日で大木にしてみたり、などされました。

祇園精舎近くの舎衛城(マヘト)は、外道であるジャイナ教の修行者とお釈迦様が神通力を競った、「舎衛城の奇跡」の舞台です。そしてもう一つ、「殺人鬼アングリマーラ」の逸話も残されています。

タキシラに留学経験もある秀才のアングリマーラは、舎衛城で師匠のバラモンに仕えていました。師匠の妻にもかわいがられましたが、その関係を怪しまれ、追放されてしまいます。行くところのないアングリマーラは、悪いバラモンに『100人を殺し、切断した指を糸でつなぎネックレッスにする』ようそそのかされました。そして、99人を殺害し、100人目の殺害を謀ります。その時、そこを通りかかったのがお釈迦様でした。「動くな」と言ったアングリマーラに、お釈迦様は「私は止まっている。動いているのはお前だ」と一言い言ったところ、その途端アングリマーラはひれ伏し、刃物を捨てお釈迦様に救いを求めました。プラセナジト王は、軍隊を出してこの殺人鬼を成敗しようとしましたが、アングリマーラはお釈迦様の弟子となっていたため、命だけは助けられました。遺族から、石をぶつけられたり、なぐられたりしましたが、お釈迦様は、アングリマーラに「ただただ、耐えるように」と説かれました。

——————-

●コーサラ国の都跡 未発掘の遺跡群

古代北インドにあった16の国(十六大国)の中で、最も勢力が強いのがコーサラ国でした。もともとはアヨーディアに置いていた都を、お釈迦様の時代には舎衛城に移していました。

5世紀初めにこの地を訪れた法顕は、プラセナジト王の宮殿が残っていたことを記していますが、広大なエリアにわたる遺跡のほとんどは発掘されておらず、荒地のような状態のまま残され、子供達の遊び場となっています。

 

●殺人鬼アングリマーラのストゥーパ

城入口の近くに“パッキクティ”と呼ばれる、ストゥ-パがあります。1世紀頃建造が開始され、その後何度かの拡張が行われたため不規則な形をしています。法顕や玄奘は、舎衛城で起きた事件の説話から「アングリマーラのストゥ-パ」と紹介しています。

 

●京都祇園祭に縁の深い 牛頭天王の祠

祇園精舎と舎衛城の中間に、牛頭天王を祀る祠があります。

「牛頭天王」とは、天然痘など疫病を防ぐ、仏教以前の時代からの土着神です。

645年、舎衛城出身の法道仙人は、播磨の国にその分身を持ち込み、広峰神社(姫路市)に奉り、人々の治療に専念しました。その後、名声が京都に伝わり、牛頭天王は京都祇園の八坂神社に奉られる事になりました。そして同時に日本に伝わった「ラータ(インドの祭りで使われる古代の戦車)」は、現在、京都の夏の風物詩となっている祇園祭・山鉾巡行の「山車」となりました。

 

<<< 舎衛城を訪れるツアーはこちら >>>

タイトルとURLをコピーしました