アジャンタは当初、仏教を学ぶ僧たちが集い、ビハーラ(僧院)に住みながら、チャイティア(寺院)で修行を行う場でした。
しかし6世紀頃より仏教は衰退のかげりを見せ始め、僧たちはだんだんと離れて行きます。
そして、いつしか誰もいなくなり、忘れ去られた存在となりました。
~ 千年もの時が流れました ~
19世紀のある日、イギリス人将校がトラ狩りをしているうちに、樹木がうっそうと茂るジャングルへ入り込んでしまいます。
逆にトラに追われた将校は、ワゴーラー渓谷に逃げ込みました。
その時、「おや?よく見ると上のほうの岩肌に孔が・・・」
蔦をかき分け、その一つに入ってみると・・・
な、な、なんと!!
ジャングルに深く深く埋もれていた石窟は、こうして偶然に発見されました。
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■2期に分かれて建造された石窟群
アジャンター石窟は、馬蹄形の渓谷に沿って、岩を“横穴式にくり抜いて”造られています。
(対してエローラは、岩山を“上から掘り抜かれた”石窟が多く残ります。)
チャイティア(祠堂)とヴィハーラ(僧院)の2種類の石窟が、計30窟、紀元前2世紀から数百年かけて手彫りされました。
紀元後2世紀以降の400年間、いったん建造が止む時期がありますが、5世紀になり再度、新たな石窟が掘られるようになりました。
このため、石窟群は「前期(第一期)」と「後期(第二期)」の2つに分類されます。
『素朴な雰囲気、仏像なし=前期石窟』『装飾が多い、仏像あり=後期石窟』と大まかに見分けられます。
シンプルな石窟ほど古く、彫刻や壁画が多彩で凝っているほど新しい時代の石窟です。
一部の前期石窟にも、フレスコ画や立派なエントランスなどの装飾が残りますが、後の時代になってから追加されたものと考えられます。
1000年もの間忘れ去られていたことが幸いしてか、他の遺跡で見られるような異教徒による破壊を免れ、当時のままの美しい姿をとどめます。
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■アジャンター石窟を訪れるには
●場所
インド中西部デカン高原の都市オーランガバードから106km(車で片道約2時間)
(最寄りの国際空港はムンバイ)
●見学の流れ
駐車場から、まずは環境保護のために電気バス(片道55ルピー)に乗り換えます。
いろんな国の人々が乗ってきます。
降車後に入場券(250ルピー)を購入し、遺跡まで少し歩きます。
「たくさん歩くのはしんどい・・・」という方は、駕籠(有料)に乗って運んでもらうこともできます。
道は一本なので、行った道を折り返して戻ってきます。(平均所要時間:2~3時間)
第1窟~30窟まであり、建造時期には関係なく入り口から近い順に番号が振られています。
見学の順番は人それぞれですが、ほとんどの方は手前から順に入っていきます。
■ゆかりのひと
●玄奘三蔵(三蔵法師)
仏教研究の最高学府ナーランダ大学での学びを終えた7世紀半ば、“さらに見聞を広よう”と新たな旅に出かけ、アジャンタ石窟を訪れました。
●荒井寛方(あらい かんぽう)、野生司香雪(のうす こうせつ)
日本画家のお二方は、大正6年(1917年)にインドへ渡り、アジャンタ壁画の模写を行いました。
野生司香雪はその後、ベナレス近郊のサールナートにあるムーラガンダクティ寺院にて、「お釈迦様の一生」の壁画を描きました。
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