いよいよ、涅槃を直感されたお釈迦様は、ラジギール(王舎城)を後にして、最後の旅に出発されます。ナーランダ・パータリプトラ(パトナ)を経由しガンジス河を渡り、リッチャビ族が治めるバイシャリに到達した時、遊女アムラパーリと出会い、彼女から食事のもてなしをうけます。直後にリッチャビ族の貴族達もお釈迦様への食事の接待を申し出ましたが、先に申し出があったアムラパーリのもてなしを受け、『供物の価値は施主の身分・地位に関係がない』と説かれました。この食事の後、お釈迦様は激しい苦しみに襲われ、3か月後に涅槃に入られる事を、悪魔ラーマと約束しました。その後も北への旅は続けられ、クシナガラ郊外のパーパという村に到着し、一行はマンゴの木の下で休息をとりました。その時、この木の持ち主チュンダという鍛冶屋が、お釈迦様一行に料理(“キノコ”または“豚肉”の2つの説があります)の供養を申し出ました。この後、お釈迦様は再び激しい苦しみに見舞われました。お釈迦様はその時、『涅槃はチュンダの責任ではない』、『成道の前の供養(スジャータによるミルク粥の供養)と涅槃の前の供養には特別な意味がある』と説かれました。
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●チュンダの村
バイシャリからクシナガラを目指したお釈迦様一行が、鍛冶屋のチュンダから供養を受けた場所は、チャティヤオン村で、クシナガラから国道28号線をバイシャリ方向に21キロ進んだ場所にあります。現在はアショカ王の時代に建立されたというストゥーパが残り、ストゥーパ跡丘陵上にヒンドゥー教祠堂があります。