お釈迦様は今からおよそ2,500年の昔、釈迦族の王子としてルンビニの地で降誕されました。ご誕生に際し、お釈迦様の母君マヤ夫人は天上界の満月から降下してきた6本の牙をもつ白象が、右脇腹から胎内に入る夢を見てご懐妊になられたと伝えられます。その後、マヤ夫人は当時のインドの習慣により、出産のため召使いたちと里帰りの途中、休憩のためルンビニに立ち寄ります。そして沐浴をされ、無憂樹に右手を触れられたとき、お釈迦様が誕生されました。(マヤ夫人は、お釈迦様の誕生1週間後にこの世を去られ、お釈迦様はマヤ夫人の妹であるマハプラジャーパティーにより養育されました。)
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お釈迦様生誕の地ルンビニは、1980年頃まで、訪れる人も少なく荒廃していましたが、その後遺跡公園として整備が行われ、1997年世界遺産に登録されました。
●お釈迦様誕生の地に建てられた マヤ堂
遺跡を覆う「マヤ堂」と呼ばれる建物は、時代と共に位置や形を変えてきましたが、ユネスコによる『ルンビニ中心部の遺構を覆うシェルター型の建造物を建築すべき』という進言によって、今日の姿となりました。
建物内部には、調査により検出された建造物の遺構がそのままの姿で残ります。古い時代の構造物の上に新しい時代のものが作られる過程が何度か繰りかえされたため、複数の時代の遺構が重なって残ります。
特に注目すべきは、1995年に検出され『お釈迦様がこの地で降誕された』ことを示すと言われるマーカーストーン(石碑)。堂のほぼ中心、紀元前3世紀(アショカ王の時代)と想定される地層で発掘されたことから、まさにここが「お釈迦様がお産まれになった地」であることを示す証拠とされています。
石碑の上には、4世紀グプタ王朝期に刻まれた石製のレリーフ「お釈迦様降誕像」が安置されています。イスラム教徒による破壊で表面の細かな彫刻表現は失われましたが、「マヤ夫人が無憂樹の枝に右手を触れた時に右脇腹より誕生されたお釈迦様を、梵天(ブラフマー神)が絹布を手にして抱き上げようとしている」場面です。
●マヤ堂の南にある池 「沐浴の池」
「マヤ夫人がお釈迦様を産む前に沐浴をされた」あるいは「お釈迦様が産湯に浸かった」といわれますが、実際には1933~39年に考古学的検証をともなわずに掘られたものです。かといって単なる創作というわけでもなく、この池に関する記述は様々な仏教文献に見られます。
5世紀この地を訪れた法顕は「佛国記」に『王妃が北方からお越しになり、水浴びをされ、身体を清められたのはここである』と残しており、三蔵は「大唐西域記」に『釈迦族の水浴び用桶である。その水は鏡のように光輝き、清らかである。水面は色とりどりの花で覆われている』と記しています。
●奉献ストゥーパー群
「ストゥーパー」とは、お釈迦様の舎利(遺骨)を納めるための施設で、(人の姿をした)仏像が考案される以前は“お釈迦様の象徴”として礼拝の対象とされました。
「奉献ストゥーパー」とは、在家の信者などが“仏教的徳を積む”ために建立したストゥーパーで、多くの仏教遺跡でみられます。
●アショカ王が仏教普及のため建立した アショカ王柱
お釈迦様の入滅からおよそ200年後の紀元前274年頃、マウリヤ王朝3代目アショカ王が即位しました。この時代、王朝はベンガル湾に面したカリンガー国を除いた北インド一帯を支配下に置いており、王はカリンガー国を征服するべく長期に渡る戦を行いました。ついには征服できましたが、双方に多くの死者・負傷者を出し、その悲惨な様子を見たアショカ王は、“武力による政治”から“仏教の理念に基づく法による政治”を目指すようになります。
そこで仏教の普及を図るため建立されたのが、「アショカ王柱」でした。継ぎ目のない1本の石柱で造られ、上部には獅子・牛・象など、仏教に関わりのある動物の彫刻が載せられました。下は、インドの国章にもなっている『獅子柱頭』で、サールナート考古学博物館に収蔵されています。(ルンビニにはありません)
マウリヤ国領土に30本程建てられたと推定され、現在、断片のみのものを含めて15本が残ります。マヤ堂の西に残る石柱もその中の1つで、1893年に発見されました。
『神々に愛せられた温容ある王(アショカ王)は、即位20年後に、親しくこの地に巡幸参拝された。ここは仏陀釈迦牟尼の生誕地であるが故に、石で馬像を作り石柱を建立させた。神がここで誕生されたので、ルンビニ村は租税を免じ、生産物の八分の一のみ納めるものとされた』
石柱に残されたブラフミー語の碑文がこのように読解され、ルンビニが“お釈迦様の生誕の地”であることの裏付けとなりました。なお玄奘三蔵の大唐西域記に「柱頭部に馬の石像がある」と記録されていますが、現在は発見されていません。
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ルンビニでのご宿泊
●ルンビニ法華ホテル(1991年開業)
日本からの仏跡巡拝者が快適な旅行ができるよう、日本の「法華クラブ」により建てられ、現在は、他の仏教聖地(ブダガヤ・クシナガラ・ラジギール・サンカシャ)にもホテルを展開する「インパック社(インド)」が運営しています。
フレンドリーで気の利くスタッフたち。
中庭を中心に平屋建ての客室が並びます。
雄大な自然環境の中にあり、多くの野鳥を観察できます。餌付けしているクジャクが中庭にやってくることもあります。
全客室数27と、規模は小さいですが、和室(20部屋)には畳が敷かれ、お布団でお休みいただけます。
和食・ネパール料理・インド料理のレストラン。
僻地にもかかわらず日本米やお醤油などの材料調達をがんばっており、シェフの腕前もなかなかです。
日本からのお客様向けに、大浴場もあり、旅の疲れを癒してのんびり過ごせるホテルです。
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