クシナガラ 涅槃の地

鍛冶屋チュンダに食事の供養を受けたところ、お釈迦様は突然激しい腹痛に見舞われます。苦痛の中、一刻も早くクシナガラに到着する事を望み、残り20キロの道を急ぎました。ついに到着されると、弟子アーナンダにこうお伝えになりました。『2本の沙羅の樹の間に、頭を北にして床を敷いてほしい。私は疲れた。横になりたい』アーナンダは直ちに床を作りお釈迦様を休ませました。お釈迦様は弟子達を悟し、静かに別れを告げられ、そして大涅槃へと入られました。80歳の時でした。

クシナガラから北の方向に故郷ルンビニがあり、「頭を北にして」には「父・母に足を向ける事はできない」との意味が込められていました。これが「北枕」の習慣の始まりだといわれます。

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 ●巨大な涅槃像を安置する 大涅槃寺

お釈迦様涅槃の地クシナガラには、白亜の殿堂大涅槃寺が残ります。堂内には、全長6.1メートルの涅槃像が安置されています。5世紀グプタ王朝期の作品で、19世紀にアレキサンダー・カニンガムにより、近くのヒラニヤヴァティー河床から発掘されました。グプタ期の仏像は赤砂岩に刻まれており、この涅槃像も、元は赤色を呈していましたが、仏滅2500年の大祭の時、ビルマ人仏教徒により金箔が施され、現在の色となりました。

枕の下の部分には、謝罪するチュンダの姿が彫刻されています。

中央には、最後の弟子スバトラの姿。

足元には、悲しみに溢れるアーナンダが刻まれています。

 

●僧院跡

大涅槃寺の周囲には、僧院跡の遺構が残ります。

 

●沙羅双樹

大涅槃寺正面には、お釈迦様の時代のものではありませんが、沙羅の大木が繁ります。『お釈迦様の涅槃の時、沙羅の樹に時ならぬ花が咲き、花弁がお釈迦様の上に舞った』と伝えられます。沙羅の花は例年3月中旬に咲くため、北伝仏教の大涅槃の日(2月15日)からすると、1か月の早咲きということになります。なお「平家物語」の『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす』との一節から、「沙羅双樹」という種類の木があると誤解されますが、正しくは「2本の沙羅の木」を意味します。

 

●最後の説法の場所

お釈迦様は最後に次のように述べられ、息をひきとられました。『一切のものごとは滅びる。限りある時間を大切にして、修行に励め。法をよりどころにせよ』

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大涅槃寺入口の南約100メートルのところに、お釈迦様が最後の説法を行われた場所があります。小さな精舎の中には11世紀パーラ王朝時代の降魔成道像が安置されています。

 

●クシナガラでのご宿泊

ロイヤルレジデンシーホテル(2000年開業)

大涅槃寺や荼毘塚・最後の説法の地まで徒歩圏の、閑静な聖地の中に立地。5エーカーの敷地を有し、白を基調にしたエレガントな2階建て建造物に、45部屋の客室があります。

レストランでのお食事は、中華・洋食・インド食のメニューが提供され、名物の炊き込み鍋は野菜の旨味が利いたスープで人気メニューとなっています。

 

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